Be(目標)+Say(語る)=美生(びせい) 
夢を語る美しい生き方を、ここから始めましょう。


2018年04月03日

わかってしまったんです‥ちょっと変なわたし

今日は少し、わたしの嫌いな(笑)スピリチュアル系のお話。
嫌いなんだけど、否定はしてません。だからご興味ある方だけ、覗いていただければと思います。

ずっと、頭では『すべての出来事は必然で起きる』と理解はしていました。
なんとなく体験もありましたが、どちらかというと自分に言い聞かせる材料のように、その言葉を使っていました。
例えば楽しみにしていたイベントに体調不良で行けないときに、結果的にそのイベントで災難があったか、面白くなかったと他の参加者に聞いて「あーだからわたしは、今日体調不良のおかげでイベント欠席で、結果的に良かったんだ」と理解していました。

最初は自分を納得させるために都合の良い言葉だった気がします。
そのうち、起きること全てから『学ばなければ損』してる気がして、どんなことにも意味付けしようとしていました。だから一見マイナスでネガティブな出来事も、全ては必然で起きることを『前提』にして、その意味を考えて理由付けしてきました。理由を付ければ腑に落ちて、嫌だったことも必要な出来事と解釈できるので気持ちは楽です。

でも、ちょっと色々あって(詳しくは書けないけれど)言葉以上に『すべての出来事は必然で起きる』と、突然理解しちゃいました。プラスもマイナスも、ポジティブもネガティブもなくて、正しいも間違えも自分が創り出した観念で、もっと自分の直感を信じて良いし、進んでよいんだなぁって、突然分かったんです。いえ、正確には、知識としてはずいぶん前から理解をしていました。ただ強烈な体験がそれを裏付けました。

不幸が重なると、人は自分を責めます。
理不尽で不条理だと、理由が分からないから自分で責任を引き受けて腑に落ちようとします。
そうして自分の内側にフォーカスしていくと、本当に気付きたい『必然』が見えなくなって、心は迷路に入ります。本当は誰のせいでもいいし、誰のせいでもないし、どこからでも抜け出せるし、どこでも迷い込めます。それを知っていれば、迷路も楽しいし(気分は落ち込んでも、楽しめる)大事な時間を有効に使えます。

ずーっと長い間、わたしの先を歩く叡智を持つメンター達は、わたしに教えてくれていたことなんだと思います。でもずっと頭では理解していても体験は薄かったんです。体験していても気付いていなかったというか。
で、分かった気になってるから、ますます体験が作れないというジレンマに落ちてました。わかってることを気取って、それ以上を知ろうとしていなかったんです。このひねくれ者め・・わたしよ!(笑)

それで改めて思いました。やはり体験がすべてだと。
どんなに本を読んで、どんなにセミナーに通って、どんなに知識を詰め込んでも、やっぱり体験には適わないと改めて思います。だからわたしたちは生かされているのですね。

・・って、ここまで書いてて自分が本当に逝っちゃってる人っぽくて嫌だなぁと思ってるわけですが(何と言ってもわたしは自称『スピ嫌い』ですからね)この感動を書き留めたくて、また内側に向きすぎて苦しくなってる人にお伝えしたくて書いてます。

カウンセラーと言う職業柄、人格者と思われることがとても多いのですが、わたしは非常に浮き沈みの激しい、情緒不安定な性格です。ただ仕事のスイッチを押してるときは自分の情緒とは関係なく「カウンセラーマシーン」になっているだけで、本当は暗くて深い、ドロドロした闇をずっと抱えてきました。その闇を上手に飼い慣らそうとしても、時々溢れ出る闇のドロドロに負けそうになって、そんな自分をどう扱っていいのかわからないことが、年に数回ありました。
でもそれは、闇でもなんでもなかった・・ということに、ある体験で知ったのです。
ドロドロでもグズグズでも、汚くても黒くても、それは何にも悪いことでも否定することでもなかったと、今はとても清々しい気持ちで受け止めています。
もちろん人間ですから、今までの考え癖をすぐに捨てることは出来ずに、また闇を毛嫌いしたり隠そうとするかもしれません。それでもわたしは、今までよりずっと上手に、その癖に気付いて笑い話にできそうな気がします。

ん〜今日のわたし、やっぱりちょっと変ですね(笑)

あなたも、ぜひたくさんの事柄を思い切り体験してください。そうして傷ついたり悲しかったら、わたしはそれを全力で受け止める覚悟でカウンセリングを続けています。傷は癒えます、悲しみは薄れます。一緒にお手伝いします。そうして楽しかったり嬉しかったり、感動する体験も、たくさん積んでください。そのときは一緒に喜び、応援し、次の体験につなげるカウンセリングをさせて頂きたいです。そんなカウンセラーで在りたいと願っています。

・・・
カウンセリングを初めてご利用のかたに『お試し無料電話カウンセリング』を40分間ご用意しております。ぜひあなたもカウンセリングを体験してみてください。決して無理な勧誘は致しませんし、中には『お試し』で気持ちが楽になって解決しちゃう方もいらっしゃいます。私が望むのは、あなたの体験を広げてもらうことです。そのためのお手伝い、させてくださいね。
(お試しカウンセリングは予約制となります、お急ぎの方はお電話でお問合せください)


posted by いわはし みなえ at 09:42| Comment(0) | みなえ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月23日

父の誕生日に

先日、父の誕生日でした。何もお祝いらしいことはしないし住んでる場所も遠いので、電話をかけてみました。
「あ、お父さん?お誕生日おめでとう」というと「覚えていたの?」と少し驚いた様子。こんな会話ができるようになるとは、絶縁状態だった昔の自分には想像できないことが起きています。

今でも毎日一時間、踏み台昇降をしているという父のストイック加減は、わたしも似ているところがあるのかなぁと思いました。わたしは自他ともに認めるファザコンで、小さい頃から父に憧れて、父に追いつき追い越したいとずっと思っていました。祖父・父ともに商売人で経営者。わたしも根っから商売好きです。ちなみにわたしは、顔も父親似。血は争えませんね。
絶対譲らない頑固さや、新年の強さや、変にケチなところ(笑)も、父のDNAだなぁと思いますし、肯定的に受け止めています。そんな風に思える日が来るとは微塵も思わなかった10代のわたしは、ただただ父を憎み、自分の血を恨み、自分が生まれてきた家族を嫌って、家を出ることばかり考えていました。アダルトチルドレン(AC)という言葉を知ってからは、ワーカーホリックな父と依存的な母の間の、機能不全家族の子供が自分であり、その不幸を嘆いてばかりいました。どうすればそこから脱することが出来るのか、何をしたら強烈な孤独から解放されるのか悩み考えて、自分を守ってくれる誰かを探し求めていた気がします。

でも誰もわたしを助けることなんか出来ませんでした。わたしはわたしを助けるしか、術がありませんでした。そうして自分が変わることで、父との関係も変わっていきました。生きているのか死んでいるのかもわからなかったわたしに父は会いに来てくれたし、その後わたしも、長い事帰らなかった故郷を尋ねることが出来ました。
今は、父と母の子で生まれてきた意味がよくわかります。わたしの両親が父と母で良かったと思います。
どの親だって未熟な存在で、親の子です。そのことに今は感謝しかありません。だって、だからこそ、わたしはたくさんの経験と学びを得られたんです。それにわたしの両親は生活力はありましたから、わたしは生きることそのものに悩む必要はなく、いつも哲学的なことを考えて本を読み、絵を描いて暮らせていました。お蔭でわたしの感性は、より深くなったと感じています。

お父さん、お誕生日おめでとう。そしてありがとう。
いつまでもお父さんが、わたしの憧れでライバルです。
いつかお父さんを超える様な、おっきなビジネスをしたいと願ってきたけれど、それはビジネスの規模ではないことにも、最近気づきました。
わたしはわたしらしく、わたしのビジネスをし続けようと思います。お父さんの強い信念のように、わたしも信念を持って生きていこうと思います。
・・・
2018年4月より、ご予約方法とカウンセリング料金を変更いたします(現在ご利用中のお客様については、現在の料金を継続させていただきます)
詳細は3月末にはお知らせできる予定です。どうぞよろしくお願いします。

posted by いわはし みなえ at 16:01| Comment(0) | みなえ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月08日

依怙贔屓スタイル

 依怙贔屓(えこひいき)
 自分の気に入った人だけに味方し、不公平に遇するさま、などを意味する表現。


今日はちょっと自分の思うことをつらつらと。
依怙贔屓とは、元々は依怙(えこ)と贔屓(ひいき)を組み合わせた四文字熟語らしい。依怙も贔屓も、それぞれはそれほど悪い意味ではないのに、依怙贔屓というと、なんだかとても意地悪い意味に受け取れる。
世の中は不平等だ。真面目だから、正しいから報われるわけではない。不真面目でも間違っていても報われなくても、楽しい人生のほうが良いのではないだろうかと、若い頃は刹那的に考えていた。

こんなことを考えているのは、自分が依怙贔屓していると思うことがあるから。
それは悪いことなのだろうか、と考えてみる。
いつもわたしや他人に頼り、何でも準備してもらい、一応お礼は言うけどあまり感謝された気がしない友達が面倒なので、わたしもその友達の面倒をあまりみない。というか、かなり投げやりな態度なのだと思う。
一方で同じように頼られても、出来ることは自分でやろうとし、わたしのお手伝いに対してとても感謝してくれたり、わたしが困ってるときには手を貸してくれる友達については、少々骨が折れてもお手伝いしてしまう。同じ友達付き合いでも自分の接し方が全然違うのだが、周囲の人には前者の友達に対してわたしが「冷たい」と言われる。別に二人の友達に差を付けようと思っているわけではないが、結果的にわたしのなかで、依怙贔屓は起きる。
だからって前者の友達が嫌いなわけではない。自分の中に友達の査定があって、自分の査定の中でランク付けして付き合っているような、そんな気分。言葉にするとちょっと残酷だけど、こちらもランクに応じた付き合いをするので、腹も立たないしストレスも少ない。周りからは酷い差別的?不平等にみえたとしても、周りの目より自分の快適さのほうが、わたしにとってずっと大事。

そもそも、わたしのビジネススタイル自体、依怙贔屓が基準だ。一緒に仕事をする人も、自分のルームのクライエントさんも、契約先も、全て自分が気に入らなければ断っている。まさに「自分の気に入った人だけに味方する」スタイル。仕事は対価が伴うために、選好みして損をするのは自分なので、あまり依怙贔屓が良くないイメージはない。

自分が主体となって意識的に依怙贔屓することは、わたしにとっては必要なことだ。
しかし、依怙贔屓している自分が非常に薄情に周囲に映ることが、なにか自分の中で「これで良いんだろうか」という疑問が湧く原因なのではないかと想像する。
かなり他人の視線を気にしないマイペースなわたしでも、時々ふとそう思うのは、やはり小さなころから道徳を刷り込まれているからなのだろう。平等であらねばならない、正しくしなくてはならない、公平で在ることを刷り込まれ、自分が好きで快適な人や事に肩入れすることは幼稚と思われる。
でもそれでも、わたしは依怙贔屓スタイルを貫こうと思う。周囲の正義より、自分のきもちを大事にしたい。

そして、周囲から依怙贔屓してもらえるほうが、してもらえないよりずっと得だ。でも依怙贔屓してもらえる人は、やっぱり依怙贔屓で人付き合いをしている気もする。結局自分の選好みはとても大事なのではないかと思う。好きなのだから肩入れする、贔屓する。
やっぱり依怙贔屓は、悪いことじゃないな。なんてちょっと思う。

・・・
わたしのクライエントさんは、わたしが決めます。
そのために「お試し無料カウンセリング」をさせていただいております(現在お休み中、3月半ばより復活予定です)
お試しでお話させていただき、自分のクライエントさんではないと思う時は、潔くお断りするか、他のカウンセラーや医療機関をお勧めします。まったくもって依怙贔屓です。でもクライエントさんにとっても、相性が悪かったり、受け止めきれないカウンセラーが担当するよりは、自分に合ったカウンセラーを探すほうが、ずっと悩みの解決が早くなると思うんです。
・・と書いていて、やはり依怙贔屓は、悪い事ではないかなぁなどと思いなおしました。良いも悪いもそもそもないとは思うけれど。そんなひとりごと。
posted by いわはし みなえ at 16:13| Comment(0) | みなえ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする