Be(目標)+Say(語る)=美生(びせい) 
夢を語る美しい生き方を、ここから始めましょう。


2019年01月29日

嵐の活動休止からセカンドキャリアを考える

ファンでもないわたしでも、嵐が2020年で活動休止するというニュースには驚いたし、軽くショックを受けた。
グループのイメージとして仲の良さの安定感があり、永遠に5名で活動していくような安心感(内情は全く知らないのでイメージだけ)があったからかもしれないけれど、会見でもお互いを尊重し合う印象はそのままで、それ故に、休止はなんだか勿体ないような残念な気持ちになった。

幼いころから芸能界に入り、トップアイドルとして走り続けてきたわけなので、自分の人生を振り返る時間も欲しかったのだろう。
そして今回、嵐のメンバーも人生の午後の年代。自分とは何か、これから何をしていきたいのかを問いただしたくなる年齢だったのだろうと想像している。そしてその意味で、自分の気持ちに正直に活動休止を実現し、自分の人生を見つめなおすこと自体は、とても自然な流れだし勇気ある決断だったと思う。多くの同じ年代の方に、少しまとまった休みを取って、自分の人生の午後を感じて考える時間を持ってほしいとも思う。

そもそも人生の一番最初の就職の時点で「これが自分の天職」と思っている人は、ほとんどいないだろう。
学生支援の仕事でも、学生達は自分のやりたいことが見つからずに悩んでいることが多い。
仕事とは、夢をかなえる手段ではなく、お金を稼ぐ時間や場所なので、やりたいことではなく出来ることから選択するものだと、私は思っている。
だけど多くの若者は、仕事で夢をかなえようと考えて、そもそも自分の夢とは何だろうかと悩む。
もちろん、仕事が夢をかなえる場になる人も中にはいるし、そうなれば素晴らしいと思う。しかし多くの人は、憧れの職業についても「こんなはずじゃなかった」「自分のやりたいことではなかった」と嘆く。憧れてるからこそ絶望も大きい。だったら最初からお金を稼ぐ手段として仕事をしたほうが良いのではないだろうか。特に若いころはいろんな経験をしてみたらいい。やらないよりはやったほうが絶対に良いのだ。憧れの仕事で絶望したとしても、その経験はやらなければわからない。

そうして様々な経験をして、自分のキャリアアンカーがしっかり根付いてきた40代に、もう一度今度は『残りの人生で何をしていくか』を考える時間は必要だと思う。
もしかしたら、今の仕事は続けながら、他のやりたかったことを実現していくかもしれないし、思い切って勉強して大きなキャリアチェンジをするかもしれない。いろいろ考えた末に、今の職場で自分のやりたいことや、できることを再確認する人もいるだろう。
いずれにしても、一度立ち止まり、自分を振り返ってみなければ、自分の『こうして行こう』は見つからない。
その意味で、嵐は素晴らしいお手本を指示してくれたと思う。

わたし自身が人生の午後を感じたのは、人よりずっと早くて30歳だった。
その後、心理職として研鑽を積み、あと数年で50歳を迎える今、最終的にわたしが辿り着く場所はどこなのかを模索している。
わたしにとってカウンセラーという職業は、手段のひとつでしかない。この仕事を続けることがゴールではない。
そして今のわたしにとっては、少々カウンセラーという肩書が重くなっていることもある。
いずれ看板を下ろすその日までは、責任を持ってクライエントと向き合っていくが、そう遠くない日にわたしは、カウンセラー活動を休止するのかもしれない。
嵐の会見を見ながら、そんなことを考えてる。

・・・
ただいまお試し無料カウンセリングをお休みさせていただいております。
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posted by いわはし みなえ at 15:23| Comment(0) | カウンセリング日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月25日

誰のためにやるのか

冬本番、わたしも自分のライフワークのスキーの遠征や合宿で忙しい。
しかし一年で一番充実している季節でもある。
こんな風に自分の好きな事に没頭できる人生は本当にありがたいし、そうしてきた自分を褒めてあげたい。

同業者には「クライエントが可哀想、無責任」など非難されているが(苦笑)それで離れるクライエントはそこまでのご縁だし、他の支援者とのご縁があるのかもしれない。別に世の中に星の数ほどのカウンセラーがいるのだから、色々体験したって良いと思う。そうしてまた、思い出してわたしとお話してくださる機会があれば最高だなとも思う。

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さて、スキーの話題。
わたしは、指導員である夫やスキー仲間と、非営利のスキーサークルを運営している。
かれこれ10年位一緒にスキーしてる仲間もいれば、最近ジョインした新しい仲間もいて、色々と面白い。
サークルの仲間は『基礎スキー』を主にしているので、技術を向上させるために練習をしている。
元々スキーヤーは、わたしも含めストイックでナルシストが多いので、非常にまじめに練習する訳だけど、自分がどう滑りたいのかを決められない人も多々在る。

わたしは常々『Be(なりたい自分や辿り着きたい地点)+Do(行動)= Have(結果を手に入れる)』とカウンセリングで説明している。
最初に自分の方向『Be』を決めて行動しなければ、結果は手にしないと思っている。
多くの人が陥るのは『Do + Do = Do』
とにかく我武者羅に、目の前のことを『こなす』ことばかりで、結果ずっとこなし続けるしかない。だって自分がどうなりたいかの行先がわからないのだから、行動だってアチコチに逸れてしまう。誰かに何か言われればその通りにして、それが違うと言われればまた別のことをする。いったいどこを目指すんだろうかと思うけれど、そうゆう人に限って「誰々さんがああいったから〜こう言われたから」といつも他人のせいにして生きてる。この生き方をわたしは『他人軸』と呼んでいる。自分に軸がないのだ。

他人軸のスキーヤーは、指導者に褒められることばかり考えている。
少しでも上達して、指導者に『褒めてほしい』承認欲求でスキーを頑張る。
するとどうだろう、自分が『こう滑りたい』がないから、いつまでたっても上達しないか、その速度がとても遅い。
そしていつでも「私はこんなに頑張ってるのに認めてもらえない」と嘆くのだ。

いったい誰のために滑ってるんだろうか。
指導者のためなんだろうか(おそらく指導者は頼んでもいないだろう)
それで「あなたはどんな風に滑りたいの?」と尋ねると、答えられないのだ。

別に「楽しくスキーしたい」でも「1級受かりたい」でも「ほどほどにおなかが減る程度の運動をしたい」でも「アフタースキーを楽しみたい」でも、なんでもいい。『あなた』はどんな風にスキーをしたいのかを明確にしてほしいと思う。
誰かに認められるため、誰かに褒められるためにスキーをするのは憐れだ。自分で自分を認められない人は、わずかに他人から認められた瞬間を糧に生きるしかない。そんな生き方はとても悲しい。ましてスキーなんてお金を稼げるわけでもない趣味の中でそんな生き方は、本当に心が貧しい。

別にスキーに限ったことじゃないが、例えば仕事なら対価も出世も伴うので、頑張ることも悪くないのかもしれない。組織の中では自分が明確すぎるのは嫌われることもあるし、周りの足並みを乱すこともある。多少他人軸も持ち合わせないと、うまく回せないところもあるだろう。
だけど、スキーって言ってみれば道楽。お金を使って楽しむもの。真剣にスキーするのはとても良いことだと思うけど、誰のためにやるのかをもう一度考えてほしい。

ちなみにわたしは、ナショナルデモの栗山未来選手に憧れて、10年くらい前からずーっと彼女の真似をし続けている。もちろんデモにはなれないことは分かっているが少しでも近づきたいし、Beが明確なので『近づくためにどうしたらいいのか』という知恵を絞る。これがとても心にも良い気がしているし、本当に楽しい。スキーに出会えてよかったと毎年思う。幸せな人生だ。
そして『生きることに必要のない趣味』こそ自分軸で生きられない人は、仕事や家庭で自分軸を持てないのではないだろうか。趣味なんて嫌ならやめても変えてもいいものだ。そんなどうでもいいものの中で、自分を持たないのは、どれだけつまらないものか、今一度考えてほしいと思う。

・・・
お試し無料カウンセリングはただいまお休み中です。再開は春ごろを予定しております。
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posted by いわはし みなえ at 13:10| Comment(0) | カウンセリング日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月17日

察してちゃんと語り合う

わたしは普段、自分が心理職であることを必要以上に明かさない。岩橋泉苗という名前は本名だが(今は資格登録の都合上、ビジネスネームを使うことは難しい)仕事と関係ない場所で出会う人には、少しだけ名前を変えている。本名が芸名並みに珍しいから、検索するとすぐ身元がばれてしまうだけでなく、自宅で仕事しているので自宅まで割れてしまうので。
あと、何故か心理職というと「わたしの心を覗かないで」とか「仕草で何を考えてるのかわかるんでしょ」など言われて警戒される。心理学を勉強したとしても心理学の幅は広い。わたしはプロファイルの勉強はしていないし、人の心は覗けないのだが、なかなか信じてもらえない。なので出来るだけ心理職であることを隠している。自己開示は大切だが不要に警戒されるのも面倒だから。

そんなわけで、仕事以外で最近出会う人には、プライベート用の偽名にしているのだけれど、時々『ちょっと心理学をかじった人』に、ものすごく上から目線でアレコレ言われることがある。これけっこうおもしろいので、黙って聞いてることにしてる。わたしが黙って聞いてるからなのか、相手はどんどんわたしにアドバイスしたり、自分が良いと思う見立てを話してエスカレートしていく。あまりに指示的な話しぶりになると、周囲の人が止めるほどなのだが、本人はお構いなしにわたしに忠告してくる。その見立てが当たっていれば納得なんだけど、全然違うことのほうが多いので『外側から見て、わたしはそんな風に見えるんだ』と参考にもなる。よく言われるのは『世間知らず』『夫依存』『恥ずかしがり屋』『気配り上手』など。そんな風に見られるのは有る意味光栄だし、逆にニコニコしたまま多くを語らないと、わたしの中身は何にも伝わらないものなんだと驚く。

確かに、人って聞くより喋るほうが気持ち良いんだろうなぁ。それに見た目だけでの情報ってすごく少ないもんだななど考える。
言葉ってとても大事なツールだ。たとえ言語が違っても、伝えようとする意思を持ってボディランゲージするのは、とても大切なんだろう。

カウンセリングの場では、自分に注意が向きすぎて相手に発信することができず、相手に『察して』もらうことを期待している人に出会う。
察してほしい願望だけでなく、相手が上手に『察してくれない』と怒りをあらわにすることもある。
でもどうだろうか。正直察することができる相手が世の中にどれくらいいるのだろう。そして仮に察することが出来ても、その能力はとてもエネルギーが要る。そこまでしてでも、察してほしい期待に応える価値が、その人にあるのだろうか。

案外他人には献身的で、身内には『察してほしい』という人も多い。家族や仲の良い友達には甘えてしまうのかもしれない。
でもわたしは、身近な人であればあるほど、きちんと言葉で伝える必要があると思う。身近な人だからこそ会う頻度が高いのだから、互いの意思表示をして納得する形をとることが大事だ。きちんと意思を表示すれば、相手がこちらを理解するのに時間も短縮できる。それが何度か繰り返されれば、互いの意思パターンを理解して、思いやりを持って相手のために行動できるようになるのではないか。
いや、頭ではわかってても察してほしい癖が抜けないという感覚なのだろう。

誰でも自分のことを知ってほしいし、認めてほしいものだ。
自分のことを語りたいし、自分の居場所を示してほしい。存在する価値がある者として扱われたい。わたしをわかってくれる人と過ごす時間は居心地が良いし、わたしも相手を理解したいと思う。
だからこそ、察するのではなく語り合いたい。
よくそんな話をすると、自分の欲求を発することだけと誤解されることもあるが、語り合うのは一方的ではない。
自分を受け入れてほしければ、まず相手を受け入れる努力をする。望みを聞いてほしければ、先に相手の望みを尋ねる。
そして自分の気持ちも打ち明ける。語り合うことはどちらかが支配することではなく、お互いを認める作業なのだから。

ちょっとしたコツは、カウンセリングでも伝授することが出来る。
察してもらえないと嘆いていないで、語り合いましょ。

・・・
お試し無料カウンセリングは、1月18日まで受け付けております。その後は暫くお休みします。
業務多忙のためご迷惑をおかけしておりますが、ご理解ください。
なお、緊急のカウンセリング(初回から費用が発生します)の場合は、まずご相談ください。

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posted by いわはし みなえ at 14:15| Comment(0) | カウンセリング日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする