2017年01月12日

愛を広げる

今日はちょっと、書きたいことがまとまっていないのですが、どうしても2017年1月に発信したいことがありブログを書いています。かなり抽象的なので、わかりづらくてスミマセン^^;
なのでカテゴリー『みなえ日記』です。

スキーに向かう車の中で、徳永英明さんがカバーした『PRIDE』が流れていました。

 ♪ 優しさとは 許しあうことを知る 最後の 真実
   わがままさえ 愛しいと思えたなら 本当に 幸せ ♪

なんかこの歌、奥深いなぁ〜と、しみじみ思ったのでした(笑)
この『優しさとは』を『愛とは』に置き換えると、わたし的にはものすごく腑に落ちます。
わたしたちは神様ではないので、自我も出れば承認もしてほしいと望みます。
しかし愛とは、そうゆう『自分』を超えて、自分の限界みたいなものを広げて包むようなイメージなんです。『我慢』と『超える』の違いは、『我慢』は自分にフォーカスしているというか、自我の範囲と言うか、愛してもらう代償に我慢がある気がするんです。行き過ぎた共依存なんかもそうですが、『超える』ことは相手がどうであれ、自分主体で相手に注ぐような気持ちなんですよ…上手く表現できなくてごめんなさい。でも今、このことをものすごく発信したい気持ちです。たぶんこのことを伝える役目が、わたしにはある気が以前からしています。

愛とは、自分以上に相手を大事に思う瞬間だったり、出会えたことに感謝して泣けてくるような時間なのかなぁと、いつもわたしはボンヤリ思っていました。相手と成就するだけが愛ではなく、愛を感じる出会いこそ、とてもかけがえのない瞬間なのかもしれないとも思います。
上手く言葉にできなくて、ドラマの中のセリフの『愛してる』に違和感を感じて、自分が思う愛の形をもっと表現したくてモヤモヤしているのですが、ふと耳に入ったPRIDEの歌詞は、わたしを代弁しているように聞こえて(笑)ブログに書きたいなぁって思ったのです。たぶんこれ、わたしのライフワークだなと思います。

わがままさえ、愛しく思えたら、本当に幸せ…って、相手の幸せが自分の幸せに感じる素敵な図だなぁと思いました。なかなかそうは思えないから『本当に幸せ』な瞬間なのでしょうね。
そんな歌詞のような境地の人は「わたしをみて」「わたしを愛して」「わたしの話を聞いて」という、自分にフォーカスするスタンスでは(少なくてもその瞬間は)ないので、相手が何をしても微笑ましい、相手の存在そのものが愛おしいと思える、愛を広げまくってる瞬間なのでしょうね。もちろん一日24時間そう思えることは無いでしょうから、そう思えることが(瞬間だとしても)あることが、とても大事なんだと思います。そしてその瞬間を積み重ねて愛を広げていくのです。もちろんそれは、恋人同士や夫婦ではなくても、家族や友人や見知らぬ人にも広げられる瞬間なのでしょう。

カウンセリングの場では、報われない、満たされないお気持ちを抱えて来られる方がたくさんいます。わたしもかつてはそうでした。愛情が欲しくて、それに代わるジャンクフードを口いっぱい詰め込んで、それが愛情にはなり得ないと気付いて吐き出します。でも毎日が空虚だから、また食べて吐いて、ますます寂しくなって絶望していくような毎日でした。でもその寂しい気持ちを抱えていたわたしは、愛を知るチャンスを持っていたと今は思います。報われなくて満たされないからこそ、報われたときの喜びや満足感を、思う存分味わいました。そうして自分の愛がいっぱいになって心から溢れ始めた時、わたしはそれを誰か足りない人に分け与えたくなりました。
いつも欲しがっていた愛は、実は自分で作り出すことができました。そうして自分の愛を満たすことができたら、相手に分けることができました。分けることができるわたしは、自分の愛が満たされるよりもっと強い幸せを感じて、暖かい感謝の気持ちが湧いて涙しました。
わたしも人間ですから、いつもその瞬間の気持ちで生きているわけではありません、時々自己中にもなるし、相手を許せなくなることもあります。でもあの涙が流れた瞬間を今でも鮮明に覚えているし、時々同じような暖かい気持ちに包まれ、とても幸福になります。初めから愛を知っている生き方では、その気持ちを味わうことはできなかったと思います。その意味でわたしに試練をくれた原家族にも、今はとても感謝しています。

なんか、かなり宇宙語的発言になってしまいましたが^^;(ごめんなさい〜この内容については、何度も何度も書き直して精査していく必要がありますね。ライフワークとしてがんばります)

言いたいのは「あなたもその『瞬間』を味わえる日が来ますよ」ってことです。もしそれを望めば‥ですが。

だから生きましょう。
カウンセリングでは「人生にも自分にも絶望して、でも死ぬこともできない」ってお話をよく聞きます。
わかります、わたしもそうでした。
そっといなくなっても誰も気づかないようなわたしの存在なんて、とてもちっぽけで空しいと感じていました。誰にも愛されない、愛してもらえないわたしなんか、生きている意味ないんじゃないかと思い、バターのように溶けて蒸発したいと願っていました。

でも今わたし、とても幸せです。
毎日が充実してます。
そんな日が来るとは20年前のわたしには想像もできませんでした。
人は大きな愛(大我の愛)を目指して小さな愛(小我の愛)から学ぶんだそうです(江原さんが言ってました、この意味が今の私にはすごく深いなぁって思います)
小さな愛をみんなが少しずつ広げて、そしてあふれる愛で地球が包まれたら良いなぁ・・・と、やっぱり宇宙人なわたしは想像するのでした・・・

それを伝えるのがわたしの役目であり、チームテレサ(わたしが志を同じくする人を勝手にメンバー選抜しているチーム)なのだと思います。
昔から、マザーテレサに憧れ、佐藤初女さんを勝手にライバルだと思い(苦笑⤵すみません)わたしにできることを考えて悩んできましたが、2017年はその意味を深く感じています。
愛を広げることを、もっと上手にお伝えできるようになるための2017年、本年もよろしくおねがいします。

***

ご好評いただいております「お試し無料カウンセリング」は、現在お休み中です。お問合せのお電話が多いのですが心苦しいのですが、春には復活したいと思っています。ごめんなさい!








posted by いわはし みなえ at 13:21| Comment(0) | みなえ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月06日

2017年わたしのアレコレ

2017年スタートしましたね。本年もよろしくお願いします。
昨年のお正月に『今年の抱負』を立てたのがつい先週のような気がしますが、それくらいこの一年が充実した年だったのかなとも思います。みなさんは昨年の目標、どの程度達成しましたか?

わたしの昨年目標だった『走ること』は、目標通り5`ランができるようになり、少しずつ距離も延ばすことができました。ただ元々良くない膝を故障してしまい、あわよくば何かのレースに出たいなと考えていたのは断念。
今年は『身体も心も柔軟』を目指します。目標は明確に、測定可能なほうが達成度を測定しやすいので、身体のほうは毎日のストレッチと、いま流行りの開脚をやろうかなぁと思っています。ちゃんと開脚について定義もあるので達成度も測りやすいですしね。
ネットでも動画など出てますが、人に何かを教わるときには、何かしら対価を支払うものだと思うので、まずはEikoさんの書籍を購入してみました。開脚できるようになると、ダイエットにもアンチエイジングにも良いそうですよ〜ワクワクするなぁ。

心の柔軟についてはブログでは書ききれないのですが、今までやってみたことをやめてみることにしました。
徳を積む一つの方法として、人知れず、本人も知られることなく、ある人(その都度ターゲットは決めている)の「夢を叶える一人プロジェクト」を長年やっていましたが、今年はそれもやめます。自分の心を満たすための一年にしようと思います。
一人で仕事をしているわたしは、普段の生活で人との接点が主にクライエントさんになるために、会社やコミュニティの中で磨かれる機会が極端に少なく、なにか勘違いしているところがあるのかもしれないなと思うのです。会社やコミュニティに属する人は、不条理なことも、納得いかないこともある中で、微妙に立場の違う人間関係の中で模索しながら自分を磨きますが、わたしには不条理なことも納得いかないこともない(というか、そうゆうことは自分でやめることができる立場)ので、ちょっと傲慢になりがちなのかもしれないなと思うのです。
わたしは自己主張は必要なアイテムだと考えていますが、自分を主張するだけで、相手を受容したり思いやったりできなければ、ただの傲慢チキだと思います。でも気づけば時々傲慢チキな自分が在るのも感じます(たとえば独り言とか、街を歩いていて思うこととかで、ふと感じるので上手く説明できないのですが)
それはやはり、人間関係においてストレスがない状況でいることに慣れ過ぎているため、自分のルールが強く出過ぎるのではないかと思うのです。
そんなとき「ああ、自分の中の『愛』が足りてないのかもしれないなぁ〜」と思い返し、もう少し自分のための心の余裕を持たなきゃいけないなと思いました。

カウンセラーという職業を選んでいる人は、多かれ少なかれ共依存体質です。もちろんわたしもそうです。
共依存が悪いとは思いません。そもそも日本の文化は『助け合い』の共依存ですし、行き過ぎなければ思いやりでもあり、優しさです。でも一人で自由にしすぎると、その思いやりが『やってあげている』になりがちだし、思いやりでやったことに『お礼がない』とか『わかってもらえない』になりがちです。やっぱり適度なストレスは必要なもんだなぁと苦笑い。飛行機だって空気抵抗というストレスを受けるから飛べるんです。わたしの人格も野放しのままではいけないなぁと感じています。
だからと言って今更勤め人にもなれないので…少し自分の心に余裕をもって、いま何が必要なのかをもう一度みつめる一年にしようと思います。心が狭くなると愛も窮屈ですもんね。もちろん余裕があっても人間ですから、怒ったり悲しかったり、腹が立ったりはするのですけれど。それすら学ぶチャンスにできる一年になると良いなと思います。
自分が傲慢チキの時は、相手も傲慢チキの人に出会いまくります。
そりゃめっちゃ腹が立つけど、これも素晴らしいバロメーターだと感じていて反省します。

心も体も、柔らかく保てるように、日々のストレッチを頑張りたいと思います〜
みなさんの「今年の目標」も教えてくださいね。お聞きするのを楽しみにしています。

***

そんなわけで、できるだけ早く「お試し無料カウンセリング」を復活したいと思いますが、まだめどが立ちません。ごめんなさい。お急ぎの方は初回から費用が発生しますが、ご予約は承ります。お気軽にご相談くださいね。
posted by いわはし みなえ at 09:59| Comment(0) | みなえ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月20日

感情を思考でこじつけない

元々持病があるわたしは、時々大きな感情の波に翻弄されます。
仕事をしているときは集中しているから良いのですが、ふと仕事が途切れた時や、ひとりで車を運転してるとき、ぼーっとアイロンをかけているときなどに、急にわけもなく悲しくなったり、過去を思い出して怒り出したり、なにか不服に思ってたことを掘り起こして嫌な気持ちになったりして、最後は気分がどっと沈みます。
落ち込む・・というより沈むという言葉がぴったりな感じで、身体もずずずーっと重く感じます。持病のせいと割り切って沈む気持ちを存分に味わい、クルクルと回る思考はそのまま放置して、あれこれ考えすぎないように気を付けます。

この持病とも長い付き合いですが、最初は自分が鬱になってしまったと思い、仕事が続けられなくなるかもしれないと焦って心療内科のクリニックに駆け込みました。検査の結果、病気だったわけですが、おかげさまで感情を思考でこじつける癖が治りました。こうゆうの、怪我の功名って言うのかな?怪我じゃなくて病気ですけど(笑)

若い頃、今よりもっと豊かな感情の起伏に翻弄されていたわたしは、自分の喜怒哀楽を思考でこじつけて、どうにかバランスを保とうとしていました。
「喜」や「楽」のウキウキした気分は、辛かったことや悲しかったことのご褒美として受け止め、「怒」や「哀」は自責の念にとらわれることが多かった気がします。感情が湧く理由を考えて、それが自分から発生したものとすることで「良いことも悪いことも、足して2で割って、チャラ」と納得していました。
♪人生楽ありゃ苦もあるさ♪って歌みたいに、プラスマイナスゼロで、それでまぁまぁ良い人生かな、なんて考えていました。

そんな考え癖があるわたしは、悪いことが起きると「わたしのせい」だし、良いことが起きると「次は悪いことかもしれない」など身構えて、その時の感情をそのまま受け入れるという作業をおろそかにしていたと思います。同じように感情を思考でこじつけるクライエントさんに遭遇すると、まるで昔のわたしを見ているような気分になって、思わずぎゅっと抱きしめてしまいたくなります。もちろんホントに抱きしめることはしませんが・・・なんだか頑張ってるなぁって思うんです。

「わたし」は「神」ではありません。悪いことが起きてもわたしのせいでもないし、わたしに良いことがあったからって自分に天罰は下せないんですよね。なんでそんなに傲慢だったんだろうなぁと今は思います。
感情は感情、あれこれ考えずに、いま感じていることをしっかり噛みしめてあげたらよかったなって思います。なんでも自分のせいにしなくても良かったなって思うんです。小さい頃から「ひとのせいにしない」って言われて育って、どんなに他人のせいで傷ついたり怒っても、自分のせいにしてしまうってなんだか違うなぁって思うんですよね。それじゃあ自分がとってもかわいそうだなぁって。

ただその感情を味わうこと。うれしいときはうれしいと声を上げて喜び、悲しかったら悲しいと嘆いて、怒っていたら怒りまくる…もちろんTPOに合わせて、時に心の中だけで、時にひとりの部屋で声を出して感情をあらわにするのは、そんなに悪いことではないと思います。
その感情を味わってから理由を考えても遅くはないし、なんでもかんでも自分のせいにしなくても、自分が腑に落ちる理由なら時に適当な理由も必要だなとも思います。
私の場合は「ビョーキのせい」だから、わたしも他人も悪くないってところで、「ビョーキこのやろう!」って持病に向かって当たったりしますけれど(苦笑)

感情を思考でこじつけると、結局全部自分のせいになって、そうして自分を摩耗してすり減って、自分が嫌いになったり許せなくなったりしちゃいますよ。
カウンセリングルームの中の話は誰も聞いてませんし、守秘義務で守られています。だから思い切り何かのせいにして、「自分のせい」ではなくしちゃって、心の重い荷物を捨ててしまっても良いんです。
そうゆう場所なんです。だから遠慮せずどうぞご利用くださいね。
・・・
しばらくご好評いただいておりますお試し無料カウンセリングをお休みさせていただいております。
ですが、緊急にカウンセリングが必要なご新規様は、通常通り受付ております(初回から費用が発生します)
お急ぎの方はご相談くださいね。

また、2016年12月22(木)〜26(月)は、クリスマス休暇を頂きます。年内は12月29(木)までがルームオープン日です。12月30(金)〜2017年1月3(火)までが年末年始休暇です。
休暇中はメールなどのご返信が遅れますのでご了承ください、受付電話には出られません。

今年はクリスマスカードを描く時間がなくて、とっても残念。どうかみなさん素敵なクリスマスをお過ごしくださいね。
posted by いわはし みなえ at 21:42| Comment(2) | カウンセリング日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする