私のルームには、日々生きづらさを抱える方々が訪れます。
その多くの方がとても真面目で一生懸命です。そして自分の努力でどうにか前に進もうとしています。血の滲むような努力をして、身も心もボロボロになりながらも、それでも頑張れば世界が開けてくると信じています。
お願いです、もう頑張らないで
もうあなたは既に、充分に頑張って来たのだから、今は頑張るより労わる事の方が大事ですよ
そう言っても立ち止まる事が出来ません。怖いんです。
それはよくわかります、私もそうでした。
でも、それが‘‘正しい‘‘と頑張っても報われません、あなたがどうしたいのかは、正しい事とは限らないのです。
そもそも、正しい事って何でしょうか?
小学一年生になるとき『一年生になったら』という童謡を歌ったことがあると思います。
いちねんせいになったら いちねんせいになったら
ともだちひゃくにんできるかな
私達は何の疑いもせず、友達は多い方が良いという‘‘正しさ‘‘をどこか心の底では持って生きています。
でも本当にそうでしょうか。100人の友達がいたら、全員の名前を言えますか?どんな友達か100名分覚えていますか?
冷静に考えて、友達100人必要でしょうか?必要な人もいるかもしれません。でも‘‘私の思う友達付き合い‘‘を100人とするのは、私は難しいと感じています。
一年生になったら、という歌そのものは、微笑ましくて素敵な歌だと思います。
歌の最後は
ひゃくにんでわらいたい せかいじゅうをふるわせて
わっはは わっはは わっはっは
と、笑い声で締められます。100人の笑い声、それはとても素敵だなぁと思いますし、私の思う友達の定義じゃなければ、100人の友達と笑い合うことは出来る気もします。
私の思う‘‘友達‘‘と、歌詞の中の‘‘ともだち‘‘は、付き合い方や親密度が違うんだろうなと思うんです。
だから私は、私の定義の友達が100人は難しいと感じてるし、私自身は100人友達がいなくても良いのだろうと考えています。
こう考えられるようには、随分時間がかかりました。
まず、自分の定義と他人の定義が違う事をしっかりと認識をしていませんでしたし、100人友達が出来るのが‘‘正しい‘‘と思っていたからです。
小学校に上がる前は、親や大人の言う正しさを守ろうと生きていました。それは勿論、そうして生きて行くためのルールや社会の秩序を学ぶ年齢なので当然の事なのですが、正しさを守れない自分は‘‘間違えている‘‘と感じてしまい、間違えないように正しい方を生きるようにと努力しました。友達100人は難しくても、より多く友達を作らなければいけない(作れないのは間違い、自分の努力不足)と感じて、どうしたら友達を作れるかばかりを考え、無駄に他人に親切にしたり明るく社交的に振舞ったり、不服でも友達の言い分を通したりしました。
私は間違えたくなかったのです、出来るだけ正しいほうに居たかった。その思いが強くて自分が本当に友達が沢山欲しいのかどうか、自分の本音がわからないまま生きていました。
友達の事はほんの一例ですが、正しさや正義、世間の秩序を守って生きようと一生懸命で、自分がどうしたいのか、自分が何を感じているのか、全く分かりませんでした。
或る時
「あなたは私が望む回答をしている気がする。私はそれで気分が良いけれど、あなたは本当はどう思ってるの?」
と言われて愕然としました。相手が望む回答を盛り込んだ返事をすることこそが、私にとって‘‘正しい‘‘会話だと信じていたからです。
私がどう思っているのかは二の次で、目の前の人が喜んだり納得したりする会話、そのことにずっと注力していました。いわゆる『良い子』を演じていたのです。
正しさや正義を握りしめている人は、そう出来ない自分を責めて更に頑張ります。頑張って頑張って壊れてしまいます。そうして壊れた自分を責めて更に頑張って動けなくなります。そうなる前にどうか立ち止まりましょう。そのためのルームを私は作っています。
カウンセリング中でも、クライエントとして模範的な回答をする方と出会う度、過去の自分を思い出します。
恐らく無意識に反射的に、正しい回答や私が肯定的に受け止められたり喜んだりする返事を選択するのだろうと思います。
決してそれが悪い事ではないのですが、その方の本心はどこだろうと考えます。心のどこを照らしたら、ご自身の本心に気付けるのだろうかと。
ですから私のカウンセリングスタイルは、傾聴だけでなく『揺さぶる』作業も多く、一般的な日本のカウンセラー(多くは来談者中心療法のみ)とは違うのですが、出来るだけ近道でノビノビと生きられる場所へ案内したい気持ちです。でもその場所へ行くのは私ではなくあなたなので、あなたがそこへ行くと決めなければ辿り着きません。
行っても行かなくても、どちらが正しい訳じゃありません。ですから行かなくても悪くないし、好きな選択をして良いのです。
ただ、もう頑張るのは一旦止めましょう
これは私からの提案です。
今、頑張りすぎているのは、過去の私だから。
必要な時、骨を休める場所があります。
話せる場を作ってお待ちしています。
あなたにとって、一歩立ち止まるきっかけになれたら幸いです
*二度目以降の方、カウンセリングを利用した事のある方は直接お電話ください(ご予約不可)

